わたしの母は、佐賀出身で、久留米の父のところに、お嫁に来て、それ以来、ずっと久留米の人でいた。最初は、標準語だったが、それだと笑われるので、久留米弁を頑張って、覚えたそうだ。小さいころ父(母の)を亡くし、家族で、満州に渡って、貧しい生活をしていたそうだ。それで、終戦になって、とても苦労して、日本に、引き揚げてきたという。満州の冬は、とても寒くて、ガラス窓に、雪の結晶ができて、とても、きれいだったという話とか、終戦前に、突然、ソ連軍が攻めてきたりとか、中国の人が、急に家を襲うようになったとか、怖かった話もよくしていた。何度も何度も、話すから、もう聞いたぁとか、子供のころのわたしは、言っていた。もう、母は、いない。69歳で、亡くなった。もっともっとたくさん、話を聞いておけばよかったと思う。おかあさんが好きだったのに、わたしは、よかれと思うことは、いろいろしたつもりでいたけど、あんまり親孝行じゃなかった。母の願う娘になりきれなかった。あの世で、早く母に会って、謝りたい。ごめんて。いや、こんなのは、だめかな。会いたかったよーって、笑えたらいいな。
コメントを書く...
Comments